22日から26日までの「みらい」航海で海面係留ブイを回収した後、27日から30日まで日本海洋学会春季大会に参加した。
「みらい」航海では、むつ市関根浜出港から三陸沖のブイ回収予定点に着くまでの間は6m以上のウネリが続き、かなり揺れた。幸い、24日昼過ぎにはウネリが治まり、回収作業を開始することができた。ブイの喫水線付近には予想外に多数の生物が付着し、海面下のワイヤーの70m深までの部分には大量の「はえ縄(太さ数ミリのテグス)」および「流し網」が絡んでいたが、何とか17時前までに、全長約7kmのロープと水中音響切離装置の回収作業を終了した。26日午後に、沖合に停船した「みらい」の舷側から作業艇(高速ゴムボート)に乗り込み、海洋研究開発機構岸壁へ向かった。思いのほか強い風のため、波しぶきを頭から受けながらの移動であった。
27日朝から、品川の東京海洋大学で開催されている日本海洋学会春季大会に参加した。「かいよう」航海のために昨年秋の大会に参加していなかったので、多くの方々とは1年振りの再会であった。皆と交わした会話の多くは、4月の人事異動に伴う挨拶や近況報告であったが、いずこも人員不補充や日常雑務の増加などの問題が顕在化し、我が国の研究環境の悪化を嘆く内容が多かった。今学会の研究発表の多くについて、自分の感受性が衰えたためか、1年振りに学会に参加して醒めた目線を持ったためなのか、物足りなさを感じた。夢を感じないというか、将来の発展の可能性を感じないのである。この私の閉塞感について何人かの仲間に話すと、皆も同じような印象を持っていた。これも、研究環境の悪化の結果の一つなのかもしれない。
夜には評議員会に参加した。定例の決算・予算案の審議などの他に、各大学附置研究所の共同利用施設継続の要望書について議論された。現在、全国共同利用に供されている各大学附置研究所は、コミュニティーの明確な支持がなければ廃止の俎上に乗せられるとのことである。これは国(財務省、文科省)が科学立国の方針に反して求める誤った効率化の要求を受け入れざるを得なくなっている各大学の厳しい状況を示している。
28日午前中は横浜新港埠頭で「みらい」を出迎え、艤装解除(機器の積卸)に立ち会った後、学会会場へ向かい、学会総会には遅刻して参加した。岡田賞と学会賞の受賞記念講演はいずれも海洋大循環に関わる内容であり、あたかも昨年亡くなった杉ノ原伸夫さんのメモリアル講演会のような印象を受けた。その後の懇親会での旧知の人たちとの会話も現状を嘆く話題が多かったように思う。懇親会の後は、皆と2次会に繰り出すつもりで暫く会場出口で待ち合わせていたが、朝からの艤装解除立会の疲れから若い人たちと語り合う元気も失せ、退散した。
29日は朝から研究発表を聴いた後、明日の「海のサイエンスカフェ」の打ち合わせを行った。午後は2つの会場を行き来しながら研究発表を聴いた。全講演終了後は、東大のHTさんと彼の学生他6名と品川駅付近で宴会。学生を前にHTさん、MTさんと昔話に花を咲かせた。
30日は10時から「海のサイエンスカフェ」開催会場で準備を進めた。結局、「研究船で海を学ぼう」に参加した高校生他の関係者約10名、教育問題研究部会員9名を含め、総勢約30名の参加があり、盛会であった。その後、2時過ぎまで行われた教育問題研究部会では、平成20年度の事業内容等について検討した後、帰途に就いた。
明日は横浜中華街で退職されるお二人の同僚の送別会があり、これで、怒涛の3月が終わる。