2008年02月24日

科学技術

私は先のエントリーで
海にかかわるすべての学問研究分野を含めた研究分野は「海洋学」ではなくて「海洋科学」と呼ばれるのが相応しいと私は考える。ただし、ここで述べた定義には、自然科学、人文・社会科学、工学(技術)、それらの複合領域が含まれており、未だに科学が自然科学に限定される場合が多い現在では、まだ一般には受け入れられない定義のようにも思う。
と述べた。この「科学に技術、他を含むこと」について、ブログ「ハーバード大学医学部留学・独立日記」で島岡さんが
Science&Technologyはしばしば科学技術と一語に和訳されることがありますが、決して1つの言葉でありません。あくまでも、Science(科学)とTechnology(技術)の2つの言葉を意味します。便宜的にScientistとEngineerが、ScienceとTechnologyに対応して使われることが多いと思います。
と述べている(エントリー「科学と技術/サイエンティストとエンジニア」参照)。島岡さんの認識が、現在の大勢と思うが、私が科学を考える上で大いに参考にしている市川惇信さん(本来ならば「先生」とお呼びすべきでしょうが、ブログの世界ということでお許しください)のHome Page「科学技術とヒトの社会」に掲載されている論考「なぜ科学の成立は技術より5 万年遅れたのか」その他を元に、以下に「科学に技術、他を含むこと」について述べる。

なお、文中に引用した市川惇信さんの文言は2月23日にダウンロードしたファイルに基づいています。現在、推敲中ですので、今後、変わる可能性があります。




海洋学と技術
海洋学は、観測技術(以下では数値計算技術を含む)の開発によって近年になって飛躍的に発展した。例えば、海面下の水温・塩分の鉛直分布は数10mごとに不連続な階段状に変化することが水温・塩分鉛直分布の連続観測技術の開発によりにより明らかになった。また、それまでは流れがないと思われていた深海底にも毎秒数cm以上の流れがあることが深海係留流速計観測技術の開発により、表層の流れが時々刻々と移動する直径200km程度の渦(中規模渦)に強く支配されていることが衛星リモートセンシング技術の開発により、明らかになった。なお、中規模渦の研究は数値モデル計算結果が端緒となって始められた。

このように、海洋学の今日の発展は技術開発なくしてはありえなかったといえる。これまでの多くの海洋観測技術は海洋学研究を進める中で必要となった観測資料を得るために、研究者自らが観測装置の開発も行ってきた。私も大学院学生のとき、波の山と谷の間の風速・流速変動を測定するために、波面追従装置を当時の技官の人たちと一緒に知恵を絞って作成した。しかし、今では海洋学研究と技術分野が発展したため、観測技術開発と海洋学研究との分業・分担が進んでいる。とはいえ、海洋学研究におけるブレークスルーは海洋学研究と海洋観測技術の協力なしには生まれないと私は考えている。

なぜ科学の成立は技術より5 万年遅れたのか
市川惇信さんの上の論考から「科学と技術」についての記述を私なりに抜粋すると、
・科学者の中には技術を科学の成果の応用と考える人がいて,Webster 英語辞典technology をapplication of science と定義するほどである.英語の単語の意味をその意味での初出と共に記したオックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary(OED))では,technologyをthe scientific study of the practical or industrial arts(初出1615)と定義している.さすがにまぎれはない.

・技術は,実在する事象を操作する上で,試行錯誤を対象とする事象にそのまま用いることができるのに対して,科学では対象とする事象を仮説という形で言葉により書き出すことが必要であり,この準備に5万年を要したと考えられる.

・技術をその成立から今日までを観ると,試行錯誤期,科学・技術期,そして科学技術期の三期に分けることができる.

・試行錯誤期の技術は原理的に局所的な技術である.局所的とは,それから得られる結果が,それが行われた状況,すなわち関与するヒト,場所,時期に依存しており,状況が異なるところでの成功は保証されないことを意味する.

・OED は1794 年以降の近代科学について次のように定義している.
 明示的に示される真理あるいは一般法則の下で組織的に分類された観察される事実の集まりであって,真理を発見するための信頼に値する方法を含む学問領域.

・科学とは,言語世界の中に実在世界の中にある事象と同じ挙動をする像(これをモデルという)を創り出す営みである.試行錯誤期の技術が,実在世界の中だけで完結することと対照的である.

・技術的事象が科学の対象となること,それにより得られた科学的知識が技術の進歩に有効である、科学と技術の相互支援の時代を「科学・技術期」と呼ぼう.

・20世紀の半ばに言語の世界での道具に計算機が現れて以来,状況は一変した.科学と技術の知識の相互支援は続いているものの,それを超える新たな知識の獲得方法が誕生した.科学と技術が一体となって実体世界を言語世界に写像して,計算機上にもう一つの実体を作り上げることが可能になったものを「科学技術」と呼ぶこととしよう.21 世紀において人類の知は「科学技術」を中核として展開しよう.
となる。なお、システム科学・工学分野を出身とする市川惇信さんの発言としては理解できるが、海洋学を研究する私には「計算機上にもう一つの実体を作り上げることが可能になったもの」を「科学技術」と呼ぶという表現には違和感がある。

どんなに複雑なモデルであっても計算機上に実体を作り上げるのは不可能であり、計算機の世界(結果)は人為的なモデルの計算結果に過ぎず、実体とはいえない。ただし、複雑なモデル計算結果に現れた事象の因果関係の仕組みが容易に理解できなくなっている。したがって、計算結果の中で何が起きているのかを調べることは有効な研究手法であるとは思う。

私は、「科学技術」は、市川惇信さんもその前段で述べている「科学と技術が一体となって」ということが重要であり、「科学と技術の知識の相互支援としての科学・技術」ではなくて、「科学と技術が一体化した」ものと考える。「相互支援」には、科学と技術の各々に別の世界観・価値観があって、独立に研究開発を進めているという印象を受ける。「一体化」とは、共通の目標に向けて、密接に連携して研究開発を行う状況を表現していると思う。

市川惇信さんは「科学はモデルを作りだす営み」と定義している。そこには、社会における営みとしての科学についての議論はない(地球環境科学についての論考で言及している)。他方、技術では社会における営み(実用化、工業化)が重視されている(このことの詳細は前出の島岡さんのエントリーに詳しい)が、フロンの開発と回収、原子力発電所事故、環境ホルモン、農薬の例にみられるように、その技術の社会への影響を考慮するための科学研究が不可欠である。すなわち、現代社会における科学と技術は不即不離の関係にあり、これを「科学技術」と呼ぶと私は思う。

科学と人文社会科学
市川惇信さんは「文理融合とは何か-人文社会学の本領はどこにあるかー」と題する論考で、「人文社会学の学問としての本領がどこにあって,それに基づく文理融合がどんなものであるか」について検討している。その中で、
人文社会科学は,「科学」という言葉の古典的な意味である「知識あるいはその総体」の意味において「科学」である.そのうち対象がシンボル世界に属しているものを「人文社会学」と呼べば,それは,「真理を発見するための信頼に価する方法」が存在する「科学」ではない.私は,人文社会科学を「科学」と呼ばれる領域と,○○主義の集合である領域とを区分して,前者を「人文社会科学」とよび,後者を「人文社会学」と呼ぶのが適当であると考える.後者は,いたずらに普遍を追求するのではなく,ある時期,ある地域におけるある人達に関わる個別的な知識を獲得することが,科学と相補的な意味での学問としての本領ではないだろうか.

と述べている。また、
今日「文理融合」が謳われている.「文」を人文社会学,「理」を(自然)科学技術とするとき,文は矛盾を含む事象を取り扱う.これに対して,理は矛盾を含まない整合的で因果的な事象だけを対象とする.よって,文と理が学問として融合することはあり得ない.

科学技術においては具体的問題に接近することは当然のことで,学問の貢献の一つであり,また具体的問題から新しい問題を抽出して研究の対象とすることが学問として生産的なこととされている.これに対して,人文社会学においては,実学とされる法学と経済学を除いて,具体的問題に接近することを避け,安楽椅子形の研究をする研究者が少なくない.矛盾を含む人や社会の事象に対して普遍的な知識を得ることができないことが主な理由であろうが,スノーのいう文化的知識人が科学と科学者を軽侮する(スノー,1964)ことに理由があるのかも知れない.
とも述べている。私は、この見方には首肯できない。確かに年配の人文社会系の人の中には「普遍的な知識を得ること」に無頓着な人も多いが、それは人文社会系にとどまらず、自然科学系でも老若、国内外を問わず散見する。

問題は、「科学リテラシー」、特に「科学についての知識」が普及していないことだと思う。「科学についての知識」を一般および人文社会系の人々のみならず自然科学研究者にも普及させ、「ニセ学者」、「ニセ評論家」の跋扈を許さない社会とすることが必要だと思う。この一文が「科学についての知識」の理解の一助となれば幸いである。
posted by hiroichi at 17:31| Comment(1) | TrackBack(1) | 雑感 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございます。
Posted by Motomu shimaoka at 2008年02月27日 07:20
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