しかし、科学リテラシーに言及している種々の記事を読んでも、そこでの、「科学の知識と素養」、「科学についての、よみ・かき・そろばん」のような説明や「科学リテラシー=基礎知識・技術」という取扱いは私のイメージからは大きくかけ離れているように感じていた。もっと、私の思いを端的に表している記述はないのだろうかと、調べてみた。
その結果、「亀@渋研X」さんのエントリー「PISAが測っているのは「学力」「応用力」ではない」で、PISAの解説
「OECD生徒の学習到達度調査 Programme for International Student Asessment(PISA)~2006年調査国際結果の要約~」(文科省)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/071205/001.pdf
に科学リテラシーの定義が述べられていることを知った。そこでは、
科学的リテラシーは、個々人の次の能力に注目する。
・疑問を認識し、新しい知識を獲得し、科学的な事象を説明し、科学が関連する諸問題について証拠に基づいた結論を導き出すための科学的知識とその活用。
・科学の特徴的な諸側面を人間の知識と探究の一形態として理解すること。
・科学とテクノロジーが我々の物質的、知的、文化的環境をいかに形作っているかを認識すること。
・思慮深い一市民として、科学的な考えを持ち、科学が関連する諸問題に、自ら進んで関わること。
となっている。ここでは、「科学的知識とその活用」は単なる暗記の対象ではなくて、「疑問を認識し、新しい知識を獲得し、科学的な事象を説明し、科学が関連する諸問題について証拠に基づいた結論を導き出すため」の道具であり、4項目の一つに過ぎないことが述べられており、かなり納得した。他の3項目には原則として同意するものの、その表現が抽象的で良く分からない。その具体的内容については、今後、さらに調べてから言及したい。
「亀@渋研X」さんは、これまでのPISAの調査から、
日本の15歳は、この調査の範囲では、ほとんどの生徒はおおむね合理的な判断ができ、市民としての健全な態度を備えていると言える。
また、そうした態度を維持することには、生徒たち自身も文科省も、そして社会もあまり関心がない。
日本の大人たちを考えると、能力態度ともに、15歳に比べるとどうも怪しいのではないか。
と言えると述べている。
「亀@渋研X」さんは、穏やかな表現に止めているが、私には、日本の大人たちが「市民としての健全な態度を備えている」とは到底思えない状況にあると思う。これは、15歳以降(私の認識では小学校高学年以降)の教育が知識偏重に陥っていることが原因のように思う。
なお、「亀@渋研X」さんのエントリーでtoshiさんのブログ「教育の窓・ある退職校長の想い」の存在を知った。大きくうなずく記事が多い。特に、エントリー「今なぜコアカリキュラムか。(2)PISA調査との共通理念」では、科学リテラシー教育と敗戦直後に行われたコアカリキュラムについて議論されている。このエントリーへの「亀@渋研X」さんのコメントも興味深い。コアカリキュラムについては、敗戦直後の教育を受けた角皆さんが
我が国の初等・中等教育における海洋学教育の現状に思う
http://members3.jcom.home.ne.jp/mag-hu/Tsunogai/Ronbun/Honj7/7-35UmiKyoiku.htm
他で述べられているように、総合科学である海洋学の教育において特に重要であると思う。