ノルウェーのノーベル賞委員会は12日、記録映画「不都合な真実」などを通じて地球温暖化防止を訴えているアル・ゴア前米副大統領と、温暖化防止研究を政策決定に生かすための国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC、事務局・ジュネーブ)に07年ノーベル平和賞を授与すると発表した。(毎日新聞他 2007年10月12日)
この選択について、多くの人が歓迎あるいは賛同の意を表している。地球温暖化に関わる研究に従事している私にとっても喜ばしいニュースには違いないが、どこか違和感を感じたのも事実である。
「陰謀説」は脇において、この違和感がどこから生じているのかを考えてみた。
ゴア氏の受賞理由は「温暖化対策について世界中の理解を深めるため、最も尽力した個人」だからとのことである。
折しも「不都合な真実」の中に科学的な誤りが9カ所あることを英高等法院が10日に指摘したことが報道された。この報道内容はそれこそ本当の誤りである。判決原文では「科学的な厳密性からは正しいと言えない事、あるいは科学的に立証されていない事を事実として述べている」ことを指摘しているにすぎない(詳しくは
http://blogs.yahoo.co.jp/r_shi2006/26309120.html
参照)。
多くの人は、「不都合な真実」に多少の誇張があっても、地球温暖化の危機を分かりやすく世界に広めた功績は大きいと評価しているようである。でも、そこに私の違和感の源があるように思う。
細かいことに目をつむり、上手に多くの人に感動を与え、言いくるめたことが高い評価を得るようなことなのだろうか?
IPCCの受賞理由は「人間の活動と温暖化の関連性について共通認識を作った」からとのことである。世界各国の4000人の科学者の社会貢献が認められた形である。ただし、ここでいう「社会貢献」は、すでに発表されている論文を調査・評価して得た情報を政策立案者へ提供することである。
私もこの「社会貢献」の重要性は認めるが、政策立案者を説得せんがために、科学界の「共通認識」という権威の御旗を立てる作業のようにも思える。ノーベル平和賞授与はこの権威付けを完成させる行為と思う。
「権威」あるIPCCの報告によって、政策立案者を含めた多くの人々に「良く分からないけれど、多数の賢い科学者が集まって言っていることだから、本当のことなのだろう」という思考停止状況を引き起こしていると思われる。
各自が自分で考え、行動できる社会が望ましいと思っている私には、人々を狂信的にある行動(ここでは原発推進のような見かけの温暖化防止)に走らせたり、権威によって人々の思考を停止させるような活動が高い評価に値するとは思えない。
2007年10月25日
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