現在の塩分の定義は、海水1kg中に溶けている固形物質の全量をグラムで表した値に対応した数値(単位はない)であり、塩分という用語に既に濃度の概念が含まれているため、塩分濃度という用語は厳密には成り立たない。花輪さんは、その随筆で述べているように、
世の中では,「塩分の取りすぎ」などと表現することが多い.「塩の取りすぎ」とはあまり使わないようである.すなわち,世の中では,「塩分」は,「塩」のこととして使われているのである.と認識しつつも、塩分濃度という用語の誤用を正そうと努力されている。
恥ずかしながら、私がこの誤用について強く認識したのは、2003年に角皆静男先生の高校地学教科書の誤りと問題表現という一文に接した時であったと思う。それまでは無意識に塩分濃度を使用していた。2001年12月に一般向けに公刊した<かごしま文庫第71巻「黒潮」>では、塩分濃度を使用してしまっている。改訂版を発行する機会があれば、訂正しなければならないと思っている。
とはいえ、世の中では,「塩分」は,「塩」のこととして使われているのも事実であり、この「常識」を無理に覆すことが、海洋学の普及に本当に必要なのか、確信を持てない自分が居る。
<追記>
一部の文章と語句を修正しました。
なお、花輪さんのWebのURLは
http://www.pol.geophys.tohoku.ac.jp/Exportable/hanawa/hanawa.html
です。随筆「これは『分』が悪いのかな」は左欄の「折に触れて」内に所収されています。
塩分ということは「分」が入っている以上、割合を示していますので、塩分濃度と言う語は、ベルトとサスペンダーをしてズボンを穿くようなものですね。ただ口腔より体内に摂取する場合には、塩は血液中に摂取されてのち、体調に影響を与えるのですから、塩分の血中濃度を示しており、塩分の摂りすぎという言葉は的を得ていると思います。つまり体調の変化を念頭に置いての感覚、という意味では、この場合の「塩分」は塩そのものの質量とはすこし異なる意味を持つものと思います。
コメントをありがとうございました。
ご返事が遅くなりましたことをお詫びします。
>ただ口腔より体内に摂取する場合には、塩は血液中に摂取されてのち、体調に影響を与えるのですから、塩分の血中濃度を示しており、塩分の摂りすぎという言葉は的を得ていると思います。
この文章を拝見して混乱しています。仮に、この文中の「塩分の血中濃度」が「塩分は塩の血中濃度」の誤りであるならば、理解できて、同意できるのですが・・・