これに関連して、7月22日のブログ「柳田充弘の休憩時間」に、Nature誌が掲載した天皇陛下の英国におけるリンネ協会での講演の要旨に
陛下は以下のように述べておられます。この「研究の喜び」は、私が以前に述べたこととほぼ同じである。
I am glad that I have been able to make some contribution in this field.
ここで陛下がお書きになられていることが、まさに研究者のひとりひとりが願っていることでして、その願いが達成されたときに得る喜びこそがまさに研究者であることの喜びなのだとおもいます。
とは言え、柳田さんは7月25日のエントリーで、研究者の意欲と研究者のもつ倫理観、研究者のおかれた環境の間の関連について、
研究者の意欲というものをひと言で片付けるのは問題ですが、しかし話しを簡単にするためにいいますと、なんらかの自己のもっている願望を長期にわたる努力や苦労をものともせずに達成したい、そういうものだとおもいます。別なことばでさらに簡単に言いますと、自己実現のための意欲といっていい場合が多いのだと思います。と述べ、
一部の研究者がという文で終わっている。
研究費があたりやすい研究プロジェクトを選ぶ
研究職が得られやすい研究分野を選ぶ
有名ジャーナルに論文が発表されやすい、研究環境を選ぶ
そして、これらが彼等の基本的な「研究倫理」になってしまったら、どうなるのでしょうか.
彼等を責めることは容易にはできません。
結果だけ見たら、成功した研究者の多くがこのような結果を生みだしているのです。
研究意欲というのはたしかに、研究者にとって金科玉条かもしれませんが、ほんとうは危ないもの、怪しいものという、側面があることをわれわれは認めなければいけないのだと思います。そうでないと、研究意欲の美名のままに無批判に行政や研究費機関が推奨する研究が横行する可能性があります。
「研究意欲の負の側面」の存在を認識して行動することが必要であることに異論はない。しかし、それだけでは不十分と思う。
研究者に限らず、私たちの各人は自分の人生で最終的に目指すもの(願望)として、何を設定して生きていくのか、あるいは自己実現を内容、について問う必要があると思う。
そりゃさ、同じ分野の研究者とは競争して勝ちたいさ(← 当然)。という大学教員
何にしても、安いものを買って来て高く売る、という行動が悪いはずがない。本来の価値に気がつかなかった人は能力(運を含む)がなかったのだし、本来の価値に気がついた人は能力が高かったに過ぎない。そして、能力が高い人が儲けるのは資本主義社会では非常に普通の話である。というIT企業の社長がいる。大金を儲けて何をしたいのだろうか?
分野・職の境を越えて、他人の役に立ちたいと思う人が増えれば、世の中はもっと住みやすくなると思うのだが・・・
詳しい補足説明をありがとうございました。
私は、「競争に勝つ」ことにこだわる人が増えた結果として、今の世の中が住みにくくなっていると考えていますので、yoshiさんのエントリー<http://blog.goo.ne.jp/y-mrkm/e/cd52e6dd95e0037a73f3e6af1fdb9756>を拝見して、「競争に勝ちたいのは当然」という個所が気になりました。ただし、このことについてyoshiさんと深く議論するつもりはなかったので、リンクを貼らず、またTBをせずに引用しました。思いもよらず、yoshiさんから直接コメントをいただき、恐縮しております。
社会貢献を目指しているという補足説明を拝見して、私の読みの浅さを反省しています。yoshiさんの研究を通した社会貢献の心意気を学生に明確にお伝えください。そういう大学教員に身近に接することで、社会貢献を考えながら自分の人生目標を見直す学生が増えることを願っています。
アカデミックサイドからのブログでの情報発信は、まだまだ少ないと思います。先生もぜひブログを続けて(立ち上げを迷われたようですが・・・)、海洋学の魅力を伝えてください。