2007年07月01日

大正14年の日本海洋学会

6月21日のエントリーで「大正13年10月の西表島北方での海底火山の爆発で生じた大量の軽石が日本各地の海岸に漂着したことについて「その当時、草創期であった日本海洋学会では」という「谷川健一著 甦る海上の道・日本と琉球(文春新書)」で紹介されている「与那国町史第1巻」での記述は、日本海洋学会が創立されたのが1941年(昭和16年)であり、該当しない。現日本海洋学会の前身のことかもしれないが・・・」と述べた。このことについて、「海洋気象学会」の前身の「海洋学会」が、文春新書に登場する「日本海洋学会」という可能性もあるのではないでしょうか。というコメントを同業の読者からいただいた。



頂いたコメントの全文は以下のとおりである。
「海と空」は大正5年に発刊されています。その刊行の母体は当然「海洋気象台」ではありますが、「時習会」という団体名で刊行されています。
 その10周年を記念して発行された記念号の冒頭で岡田武松氏が、10年を経て「海と空」が海洋学の雑誌として相応しい内容に充実してきたので、「時習会」を「海洋学会」と名称を変更すると宣言され、その後、昭和19年の2月号まで「海洋学会機関誌」として「海と空」が刊行されています。それが、昭和19年の3月号から突然現在の名称の「海洋気象学会」に変更されています。
 したがって、日本海洋学会が設立された昭和16年から昭和19年までは「日本海洋学会」と「海洋学会」が並存していたようです。
 「海洋気象学会」の前身の「海洋学会」が、文春新書に登場する「日本海洋学会」という可能性もあるのではないでしょうか。
 つい興味を持って調べてしまいました。詳しいことを海洋気象台か海洋学会の長老の方々に聞いていただいて解明していただければ幸いです。
ありがとうございました。
たしかに、「海と空」の総目次によると、第6巻、9号(1926年9月)からの3号に「軽石の漂流について(1)、(2)、(3)」という論説報文が掲載されている。したがって、「その当時、草創期であった日本海洋学会では」という「谷川健一著 甦る海上の道・日本と琉球(文春新書)」で紹介されている「与那国町史第1巻」での記述は、正しくは「その当時、草創期であった海洋学会では」とすべきである。ただし、この誤りを犯したのが「与那国町史第1巻」の著者である正木譲氏なのか紹介者の谷川健一氏なのかは、「与那国町史第1巻」での記述を確認できないので、不明である。

「日本海洋学会」と「海洋学会」との関係については、上述の情報でも名前が挙がっている岡田武松先生(日本海洋学会初代会長)の配慮があったことが、宇野木早苗(1995)岡田武松先生のこと.海の研究.Vol.4, No.2,pp.127-132という興味深い寄稿(原文のpdfはこのリンク先を経由して入手できる)で紹介されているのを見つけた。日本海洋学会の創立に至る経緯の詳細は「日本海洋学会20年の歩み」で述べられているようだが、手元にない。
posted by hiroichi at 03:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日は、ご訪問ありがとうございました。

貿易風と偏西風については、ご指摘いただかなければあのまま突っ走っていたかも知れません。

重ね重ねありがとうございました。

そして、お気に入りブログへの登録ありがとうございます。
何だかちょっとうれしい面と緊張する面もありつつ、素人がマイペースにやっていくブログとして、やっていきたいと思います。


最後に、“ 表層循環を引き起こす仕組み ”の記事、楽しみにしております。


本日は、あつかましくならないようにリンクは控えさせていただきます。

ではでは。
Posted by XENA at 2007年07月01日 22:18
XENA 様

重ねての御礼のお言葉をありがとうございました。

当ブログへのリンクが貼ってあるのを拝見し、相互リンクとさせていただきました。

これからも宜しくお願いします。
Posted by hiroichi at 2007年07月02日 23:39
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