この詳細を述べる前に、ブログ世界を通じて先日20年振りで京都で再開した大学時代の友人から「対馬のあたりの地図が周りにありませんので、地図も載せるか、すぐいけるようにして下さい。」というコメントを頂いたので、それへの対応として、私も作成に関与した日本周辺の海流図の代表例へのリンクをここに貼っておきます。ご参照してください。
先のエントリーで紹介した海軍水路誌の情報を提供して頂いた同業の読者からの追加情報は以下の通りです。
国会図書館では、近代デジタルライブラリーをウェブ上で運営しています。情報提供をありがとうございました。
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
ここで「海流」で検索すると、明治時代の文献が96件ヒットします。文献は画像で掲載されていますので、この場合、本文に現れる「海流」を検索するのではなく、タイトル、著者、目次の項目に「海流」が現れる文献がヒットします。
それらの文献を見ると、海軍水路部では大正末期に初めて現れる「対馬海流」が、明治中期以降の文献に登場していることがわかります。
例えば、明治27年 内外地図集覧
明治32年 新式日本地理
明治44年 海洋学講話 等
したがって、日本海の黒潮とする海軍水路部が少数派であった可能性もあります(水路部が少数派である名称は、例えば「有明海」を「島原湾」と呼ぶように、よくあることです)。
また、当時は海流のほかに「洋流」という言葉も使われていたようです。
96件の検索結果の中には、明治27年に海軍水路部が刊行した「朝鮮水路誌」もあります。明治27年は竹島の島根県編入以前のものであるため、竹島はこの「朝鮮水路誌」の中で記述されています。わが国が当時は竹島を朝鮮の領土だと認識していたと一部の方が主張する根拠に使われる資料ですが、数ヶ月前にどこかの先生がこの水路誌の冒頭に朝鮮国の範囲を緯度経度で示してあり、竹島がその範囲外にある(朝鮮国の領土ではない)ことを発見したと日本海新聞が報じていたことがありました。以前、お知らせした明治40年刊行の「朝鮮水路誌」では「日本海の黒潮(日本海流)」という標題になっていますが、明治27年では「日本海流」となっています。また、日露戦争を挟んで一部の地名も変化していることもご覧になれるかと思います。
この情報を受け、早速、国会図書館の近代デジタルライブラリーにアクセスしてみました。このデータベースにあって、「海流」を目次に含む最も古い書籍は「支那海水路誌. 第1巻 / 〔水路部編〕,〔水路部〕, 1890 」でした。「洋流」で検索すると20件ヒットし、その中の「高等小学読本. 巻5-7,文部省編輯局, 明22 」では、歴史、地理、物理を含む種々の学習項目の中の一つに、海流としての「洋流」があり、黒潮にも言及しています。「黒潮」で検索すると、5件ヒットし、その中で「黒龍沿岸州水路誌,水路部, 明28.6 」と「諸府県小学教員検定試験問題集 / 農美重由編,熊谷久栄堂, 明29.5 」が海流としての黒潮に言及しています(その他は徳富蘆花の小説など)。
文献渉猟の深みに嵌ってしまいそうで、これ以上の検索・閲覧をやめました。