この国際研究集会は、私が現在の職に異動するまでの約25年間の研究教育活動の大きな拠点であった。1988年12月からの10ヶ月間の私の米国滞在を受け入れてくれたRCBさんとは、この集会で知己を得た。フロリダ大学のYSさんと韓国海洋研究所のHLさんとは九州西方における黒潮からの対馬暖流の分岐についての論文を書いた。また、HLさんとは東シナ海の海水流動に関する共同研究も行った。また、この集会を足場に山東海洋学院(現、中国海洋大学)との東シナ海についての大学間交流を行った。この国際研究集会を通した研究交流がなければ、私の研究対象は別のものになっていた可能性すらある。
今回の集会への参加者は10カ国からの117名であったという。私が始めて英語での口頭発表を経験した1983年の参加者は、中国・韓国・台湾・米国から各々5名程度であり、国内からの参加者を合わせても40名程度だったと記憶している。全員が筑波大学の宿舎に寝泊りし、昼は研究発表、夜は宴会が続いた。参加費を徴収しないで、各自、地元の酒かツマミを持参のことという主宰者(テキサス農工大の市栄誉先生と筑波大の高野健三先生、当時)の指示の下、人間的な繋がりを深めた。当時は研究者の数も少なく、また学術交流が政治的・経済的に困難であった中国・台湾・韓国における海洋学研究の発展を図るためには、まず人間関係からというのがお二人のお考えだったのだと思う。その思惑が功を奏してか、私の年代では私的および学術交流がかなり進んだと思う。その成果として、韓国および中国から多くの若い人たちが日本の大学院に入学して活躍しているのは喜ばしいことである。
今回の集会には韓国・中国から多くの若い人たちが参加していた。Native EnglishよりもJapanese English, Chinese English, Korean English, Rossian Englishが飛び交うこの集会は英語が苦手と思う若い人が海洋学の国際会議へデビューする場として最適であろう。最新の研究情報交換のみならず、極東アジアの海を学ぶ若人の研究交流の場として、PAMS/JECSS研究集会が今後も継続することを願っている。