このHPの掲示板に4月から大学院に進学する学部生の相談が3月13日に投稿されているのに気付いた.その相談の要点は,
私は以前から博士号をとって研究者になりたいと思っていましたが、一年間研究をして、「自分は何のために研究をしているのだろう?誰の為に頑張っているのだろう?学会で発表すること、論文を出すことがscienceなのか?もしそうならscienceって何のためにあるの?」と思うようになり、研究への興味が薄れ、大学院に進学することも私にとって意味があるのだろうかと思うようになりました。ということである.
この疑問を読み,アンケートの回答を作成する中で,学部・大学院の学生時代の将来に不安を抱えていた自分の姿を思い出した.
大学に入学した頃の第1志望は科学者(今思えば,自律科学の研究員),第2志望は研究員(技術系公務員,今思えば統治・産業科学の研究員),第3志望は技術系民間会社の社員であった.ともかく,文系よりは理系の職業に就いて,未知の探求という科学的行為に何らかの形で携わりたかった.結局,3回生の後期に入学当初の宇宙物理学を選択することを諦めて海洋物理学を選択し,首尾良く修士課程を終えて,博士課程に進学した.他方,同期の優秀な友人達の中には,家庭の事情で博士課程進学の道を諦め,学部卒業あるいは修士課程修了で就職した人も多かった.このような周囲の状況や1968年から1970年の大学紛争時の議論から,幸いにも経済的に恵まれた自分が社会のためではなくて,個人的な自分の夢を追求することに疑問を感じて,鬱々とした日々を過ごした時期もあった.この悩みは,ある日「自分の夢を追求することが出来る状況にある人間は,出来ない状況にある人の夢をも背負って,ベストを尽くせば良い」と飲み屋で隣り合った年配の方から言われた時に解消した.
とは言え,大学院に進学しても,アカポス獲得に苦労している研究室の先輩達を見ていて,学者への道へ進めるとの確信を持つことは到底できなかった.将来への不安を打ち消すために,ただひたすら(酒を楽しむことも多かったが・・・),年2回の海洋学会で欠かさず研究発表を行ったり,他大学の教官との顔繋ぎに精を出したり,出来上がった論文の別刷を日本中に配布したりして,自分の存在をアピールすることと,学位取得への努力を積み重ねるしかなかった(当時は右肩上がりの世の中で,努力すれば報われるとの神話が生きており,最終的には,修士課程で育英会奨学金を受けていた地球物理学教室の同期の仲間の全員が返還免除職に就いた).
大学院在学中に教授の勧めに従ってアカポスに応募したが不首尾に終わり,学位取得時には就職先は決まっていなかった.1年間はアカポスへの就職活動を行い,それでもダメな場合には,民間企業に就職しようと覚悟していたが,1年後に大学助手の職を得ることが出来た.後にそのポストが出来た経緯(学部の組織改革に伴う純増ポスト)を知って,自分の幸運に感謝した.
30年前と今とでは博士課程学生の置かれている状況は大きく異なっていて,今の若い人たちの参考にもならないとは思いますが,書いてしまいました.
ご返答をありがとうございました.
心無い指導教官が多いのも学生の不幸の一因とは思いますが,それも含めて,目先の成果や効率を優先し,勝つことや楽して高収入を得ることにこだわり,他人を思いやる想像力が欠如した人(官僚や権力者ばかりでなく,庶民も)があまりにも多すぎる現代日本社会そのものが学生を含めた若人の精神を蝕み,その夢と希望を奪っていると思います.この危機的状況を変えるには,各人が自分の頭で考えたことを発言し,その発言に互いに耳を傾け,議論を続けるしかないと思っています.