ただし,この報道では,この研究成果がGeophysical Research Lettersの最新版に掲載されたことには言及されていない(MSN毎日インタラクティブの関連項目,<http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070218ddm041040156000c.html>では記載されているが,紙面には記載されていない).また,同じ分野の他の研究者のコメントも記載されていない.このような報道方法については,「あるある大事典」でのデータ捏造に関連して,活発な議論が1月28日頃の「理系白書ブログ」で行われていた.それにもかかわらず採られた今回の旧態依然たる対応には失望を感ずる.
どんなに「権威」のある学術雑誌に掲載された論文であっても,それは,あくまでも,その研究者の個人的見解であり,真実であるとは限らない.論文は他の研究者の批判を受けて,より良い(より矛盾のない)解釈・理解を得るために発表されるということが,新聞記者を含めた多くの人には理解されていないように思う.
また,研究成果のマスコミ報道は,その成果が雑誌に掲載された直後にしか報道されない.現在のように,電子出版が盛んになった状況では,最新性よりは,その重要性や影響度を目安にした報道が望まれる.
紙面では紹介できないことをWebで述べる試みを始めたのかと期待したが,原稿がそのままWebにアップされてしまっていたようだ.
私自身、文を読んでハッとさせられました。
しかし、新聞をはじめマスコミの多くは、社会的にその存在意義が「論文の批判の場」とはなっていません。
それは、新聞記者の理解がないだけでなく、読み手または社会の意識がないことに最大の原因があるのではないでしょうか。
マスコミやメディアの意味が曖昧となり、ワイドショー化している日本では、学問という真に生活と関わる情報は受け入れられないのが現実です。
こんな悲観的ではいけませんよね(笑)
生活者が、学者や専門家の可能性に早く気づけるといいのですが。
そして、生活の中で学者のいう事を理解・分析し、活かせる生活の学者に市民がなれるといいのですが。
長々と失礼いたしました。
コメントをありがとうございました.
>生活の中で学者のいう事を理解・分析し、活かせる生活の学者に市民がなれるといいのですが。
同感です.既成の権威を認めず,価値観の多様性を互いに認めながら共通認識を深めるという科学的方法が社会に根付けば,ストレスの少ない,もっと住み易い世の中になると思っています.
とはいえ,世の中には「学者・専門家」の仮面をかぶった権威主義者・独善家も数多く居ます.似非学者・専門家の跋扈を許さない世の中にするためには,自分の言葉で考える人が一人でも多くなることしかないように思います.